我が家の被災記録その4。

みゆきんぐ

2011年03月20日 15:37

◆被災4日目◆

4日目です。

ちなみに朝はだいたい余震で目が覚めます。
地鳴りのようなゴーっとゆう音のあとカタカタと揺れます。
余震が続いているので、いつでも身体が揺れているような状態です。

これだけ続くと子供達も怖がり、ちょっとした揺れでも…
机の下に隠れたりしています。

4日目はさすがにそろそろ温かいものが食べたいね…となり、
実家で炊き出しをすることに。
両親と子供達は実家に向かい、私とパパと義妹はスーパーの買い出しに。
三人いれば15個の缶詰めかカップ麺が買えますからね。

10時オープンだったので9時半ごろ行ったのですが、
お店の準備の都合で11時オープンになりました。
それでも開けてくれることに感謝です。もちろん文句言う人なんていません。

買い物が始まり、あと20人位で自分達の番だ!というところで、津波警報が発令。
あっという間にお店は閉店し、みんな逃げ帰りました。

結局、津波が来ることはなく…長蛇の列を並んだ時間は無駄になりました。

昼過ぎに実家に向かうと、土鍋で炊いた炊き立てのご飯とカレーが出来上がっていて、
本当に美味しくて嬉しかった!

そして実家では、水が出ていたので、炭火でお湯を沸かし、
少しずつのお湯を使って髪の毛を洗いました。

気持ちいいね~(^^)とニコニコして嬉しそうに言っていた、
ムネ吉の笑顔がなんだかとても印象的で頭に残っています。

みんなでほんのちょっぴり気持ち良くなって、マンションに戻りました。

マンションに戻り…部屋の扉を開けると、なんと水が流れる音が!
ここで水道が復旧しました。

涙が出ました。

まずはトイレの心配がなくなります。
なるべく水を使わないように、誰かが大便をしたときだけ、
お風呂から水を汲んで来て流すようにしてましたから。

カセットコンロで沸騰させれば料理にも使えますしね。
ホントに水が出ることのありがたさを実感しました。


そのあとマンションの他の部屋の方々と少しゆっくり話す時間が出来て、
情報交換が出来ました。

一人の奥様は旦那様が某スーパーの方で、とにかくお店を開ける為に
一生懸命やっている…とききました。
自分だって被災者なのに。

別の奥様は旦那様が仙台空港にお勤めで、地震発生から2日後位に
やっと歩いて戻って来たのに、自分の家の車がガソリン入ってるから…と、
歩いて帰れない、空港に取り残されてる人を迎えに行ったそうです。
自分の家だって小さい子供さん二人いて、奥様は大変なのに…。

でも本当に立派で素敵です。


そして夕方になり、そろそろ家に戻らないと!
日没までにやることやらないとよね!って、言って解散したそのとき、
街灯やマンションの廊下の灯りがつきました!

近所中から歓声が聞こえて来ました!
また私は涙が…出ちゃった。

復旧がいつになるのかわからず、一体この生活を何日やるんだろう?と、
正直、疲れ果てて心が折れそうな状態でしたが、
電気と水道が復旧したことで、私の気分も復旧しました。

この日の夜は缶詰で過ごそうと思ってましたが…
豪華に温かいうどんをみんなで味わいました。


関連記事